宮平 誠司(Bass)

1961年大阪生まれ。

小学校のころ、たまたま家にあったクラシックギターをいじくりだす。向かいの大学生の兄ちゃんにチューニングの仕方だけ習って、あとは独学。
同時に、たまたま家にあったアップライトピアノをいじくりだす。こちらは先生がいないので完全独学。右手でいろんな和音を押さえても、左手の指一本で低音を弾くだけで、和音の性格がガラッと変わってしまうことに気づき、これは大変なことだとうろたえたのが、「ベース」というものを知った最初である。

中学で初めて借り物のプレベに触り、高校に入って本格的にジャズベを弾き始める。
ジェフベックやEL&P、キングクリムゾンなど、なぜかやたらマニアックな楽曲ばかりやりたがる連中に囲まれて、変な意味で鍛えられる。しかし好きで聴いていたのは、クルセイダーズやSTUFF、ブレッカー等。日本人ではPRISMやザ・プレイヤーズ等であった。Fender Rhodes の音が何ともいえず好きで、Rhodes を使っている音楽ばかり聴いていた。

大学進学と同時に、クロスオーバーっぽいバンド「LOVE PLAY」を結成。ところが結成直後にギターが抜けたため、同じクラスだった木寺氏を招へいし、本格活動を開始。当時からコピーはほとんどやらず、オリジナル曲ばかりやっていた。
活動を続けていくうち、プロミュージシャンやプロを目指している人たち(結局みんなプロになったが)とのさまざまな出会いがあり、厳しく鍛えられる。これが貴重な経験となり、今も私のすべてを支えている。

大学を卒業し、しばらく演奏活動から離れるが、四十代後半に東京単身赴任の際、仕事仲間に尊敬すべき元プロベーシストの方がおり、夜な夜な銀座のライブバー(マンションから徒歩15分)へ飲みに連れて行ってもらう。この店には、なぜか LOVE PLAY 時代に録ったLPレコードが置いてあり、私が訪れるとマスターがこれをかけては、私をいじめた(笑)。
ある夜、この店で飲んでいたところ、その仕事仲間の彼がスーパーのチラシか何かの裏に譜面を殴り書きし、店にあった白いジャズベを差し出して「オレがギター弾くからお前これ弾け」と仰せつかり、ビビりながら数十年ぶりにステージへ。客席は見ず知らずの人で満員。誰の何という曲なのかも知らされずいきなり本番だった。ところがこれが、彼の恩情なのか非常に簡単な曲だったため、何となくうまくいってけっこうウケる。

帰阪後、五十代になって再始動。
嫁さんが学生の頃ドラムをしていたバンド「比亜栖(ぴあす)」のメンバーだった Aiko と、LOVE PLAY のギタリスト木寺昭雄が「Ai-collage」を結成、Drumsの富松俊とともに参加し、現在に至る。



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